新島襄と新島八重の墓の行き方(2) 墓所までの写真付き道案内

NHK大河ドラマ「八重の桜」に影響されて、新島八重の墓所を訪ねた記録、新島八重の墓の行き方、その2です。(その1では、電車、バス、車での行き方を案内しています
新島襄の妻新島八重の墓は、京都、永観堂・南禅寺の東側の山の中、京都市営若王子(※)の共同墓地内の同志社墓地にあります。(※にゃくおうじ)

墓所の住所は、京都市左京区鹿ヶ谷若王子山町 京都市営若王子墓地内 同志社墓地 です。

下の写真は、山道登り口のある熊野若王子神社。

新島八重の墓所に行くには、熊野若王子神社から山道を歩いて20分ほど登らなければなりません。「新島八重の墓の行き方(1)」では、熊野若王子神社までの電車とバス、車でのアクセス方法の案内と共に、「墓所に行く前に知っておきたいこと」として山道対策や墓所に関する情報、注意事項をまとめていますので、事前に参照してみてください。
ここからは、熊野若王子神社から新島八重の墓所の行き方です。
神社の奥の小道を進んで行くと山道への登り口があります。登り口には「新島襄・八重の墓」と書かれた大きな看板があるのですぐわかります。


その手前には「女性の一人歩きに注意」という看板もあります。注意に越した事はありません。ちなみに私は冬の休日の午前中に新島八重の墓所を訊ねましたが、行き帰り合わせてそれぞれ単独で往来している3人(いずれも男性)にすれ違いました。ほとんど人気はありませんでした。登り口には、イノシシが出るので注意という案内もありました。

 

登り口には登山者用に竹の杖が設置されています。子どもが喜んで杖を使って登りました。「その1」でも書きましたが、3歳の子どもも元気よく歩いて八重の墓所まで登りました。少し杖を使わせてもらいましたが、杖があるとずいぶん楽な感じがしました。

 

山道の最初は写真のような道です。

 

途中、枝分かれしている場所に、「同志社共葬墓地」と印された案内標識があります。
その方向の先には、高く急な山道が見えます。

 

途中、コンクリートや石などで整備された道もあります。全体的にそれほど厳しい山道ではありません。

 

山道を進み、上の方に墓地が見えてきたら、そこは京都市営若王子の共同墓地です。その墓地内を奥に進むと竹棒で囲われた同志社の共同墓地があります。

 

同志社墓地の正面が新島襄の墓石です(写真:下)。

 

その左に新島八重の墓石があります(写真:下)。

 

新島襄の墓石は、1891年にここの場所に建てられ、老朽化し事故で崩壊したため1987年(昭和61年)に現在の墓石が再建されたと記されています。

 

同志社共同墓地の中には、同志社関係の方々のお墓が並んでいます。中には、NHK大河ドラマ「八重の桜」にも登場する新島八重の兄であり、会津藩士の砲術家、新島襄の協力者である山本覚馬(やまもとかくま)の墓石もあります。

 

[人物紹介、生年没年](出展:ウキペディア)
新島八重:1845年(弘化2年)12月1日に会津藩(福島県)で誕生、1932年(昭和7年)6月14日に京都の自宅(現・旧新島邸)にて死去、86歳。

新島襄:1843年(天保14年)2月12日に江戸の神田で安中藩(群馬県)の藩士の家に誕生、1875年(明治8年)に32歳のときに同志社大学の前身である同志社英学校を開校、1890年(明治23年)1月23日に静養中の神奈川県大磯の旅館で死去、46歳。

山本覚馬:1825年(文政11年)2月25日n会津藩で誕生。晩年は京都府議会議員、京都商工会議所長、同志社臨時総会長などを務め、1892年(明治25年)12月28日、64歳で死去。

 

NHK大河ドラマ「八重の桜」は放送が始まったばかりです。新島八重がどんな女性であり、どんな生涯を送るのか、毎週、大河ドラマが楽しみです。

 

 

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